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いろいろとひと段落したのでひさしぶりの更新です。

何年かぶりにTV版24話を見ての感想は、
『(カヲル君は)・・・子供だなぁ。』ってことです。
14歳だから、当たり前なんですけれどね。
「大人びた」という形容詞がつくだけで、子供には違いない。
フィフス・「チルドレン」。

当時の私はシンジの様に、縋りつく聖人の様に彼の笑みを慕っていたけれど、
彼もまた色々な悩みを抱えた「ニンゲン」(”使徒”という、別種の人類ではあるけれど )には違いないのだ、、
と思いました。

彼の来歴は全く明かされてないけれど、
彼もまたきっと、ゼーレ(の老人達)によって生きる選択権を与えられなかった少年なのだろうと、、思いました。
だからこそ、死を望んだ。

彼には、生きる理由がなかった。(たぶん。)

[以下は、まったくの妄想です。]


だからといって、人類のために死ぬ理由もない・・
理由もないままゼーレに飼い殺しにされる人生(もしくは駒として使われるだけの人生)か、
自分を好きなように利用し続けてきた人類(リリン)のために死ぬか。

普通に考えれば、生きる理由がなければ死んだって良いかもしれないけれど、
生きる理由を見いだせなかったのがリリンの所為ならば、
死ぬことにすら葛藤が生まれますよね。

でも、彼は、シンジに出会った。出会えた。
生きることにおびえ、繊細に傷つき震えながらも今を生きている”シンジ”(人類)。
そんな人類のためならば、そんなニンゲンもいるならば、
死んだっていい。

弱いからこそ、自分を守るために酷いことする人間もいるけどなー 
ゼーレの老人達はその定義に当てはまるのではないか?
崇高さという大義を計画の隠れ蓑にしてはいるけれど。

って、それはシンジもか?
でも、シンジは老人たちのような老獪さはなく、まさしく少年の”ピュア”さ、だけがある。
カヲル君は、そういう、弱さゆえに他者を攻撃しかねない箇所も含めて、シンジという”人類”を気に行ったのかもしれない。

だとしたら、まさに”聖人”ではないか?
”使徒”の本来の意味での意義通り。


だからこそ、彼は「僕は君に会うために生まれてきたのかもしれない」
と笑顔で言えたのかもしれないし、
「君に会えて嬉しかったよ。」と言えたのかもしれない。

・・そう、思いました。

長年、渚カヲルというキャラクターは私にとって謎の存在で、
ただ 視聴当時の憧れのまま・超越した聖人の様な存在として、もしくはミステリアスな要素に永年気を惹かれていたのですが、
ようやくひとつの解釈ができました。

しかし!
新劇場版では、彼もまたシンジの様に変化している様子。
シンジが成長したように、カヲルも何か成長したのかもしれない。
当時の儚さよりも、ある種の”決意”という「強さ」が見て取れる。

目が離せないですね!!!!!(フガー!)


異論諸説あると思いますが、まあ私なりの腑に落ち方、ということでひとつよろしくお願いします。
というか、エヴァの設定をちゃんと理解していない可能性大ですので、ツッコミ所満載すぎるかもしれませんが、萌えで浮かんだ想像ということで軽~く流してやってください。


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